腰痛治療最前線―TMSジャパン公式サイト-図書室



痛みと怒り―革命的治療プログラムの出現


痛みと怒り―革命的治療プログラムの出現


                           伊藤 泰史
                   
ほうせいオステオパシー療術院院長


1999年5月、急性腰痛に襲われた友人のK氏(39歳)が這うようにして私の治療院にやって来た。激痛のために腰は曲がったままだ。オステオパシーの治療を施すと、一時的に痛みは和らぐものの、それ以上の改善の兆しはみられない。やがて、腰痛ばかりか、左下肢の痛みとしびれをも訴えるようになっていった。

K氏は建物の塗装や洗浄業務を行なう会社を経営している。常日頃、重たいポンプを持ち上げたり、無理な体勢で作業したりすることが多い。安静を指示したが、自営業ゆえに仕事を休むわけにはいかないという。

K氏への治療は続けたが、明らかな改善がみられないまま5ヶ月が経過した。重大な疾患の潜伏を危惧した私は、整形外科を受診するよう強く勧めた。整形外科ではMRI(核磁気共鳴画像診断法)によって、第4-第5腰椎間、および第5腰椎-第1仙骨間に椎間板ヘルニアが確認された。診察した医師は、ただちに神経ブロックを行なう必要があり、ヘルニアの程度から考えると尿が出なくなる恐れがあるので、できるだけ急いで手術すべきだと迫った。しかし幸か不幸か、たまたま病室が空いていなかったために、その日はそのまま帰宅した。

今後の治療計画について周囲の人々に相談したK氏は、たとえ椎間板ヘルニアの手術を受けても、必ずしも痛みが消えるとは限らないことを知り、手術はせずに私の治療を受け続けることを選択した。私は精一杯治療したが、依然としてK氏の腰は伸びず、治療ベッドに乗るときもうめき声をもらし、咳やくしゃみをするだけで悲鳴を上げるほど痛がっていた。

同年11月、私はアンドルー・ワイル著『癒す心、治る力』(角川書店)の中で、椎間板ヘルニアを劇的に改善させるというTMS理論なるものを知った。突破口を見出せずに途方に暮れていた私は、どうしてもこの理論が知りたくて居ても立ってもいられなくなった。TMS理論に関する翻訳書はないものかと調べているうちに、北海道旭川市在住の長谷川淳史氏の存在を知った。氏はわが国に初めてTMS理論を導入した人物であり、『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』の監修者、『腰痛は〈怒り〉である』(共に小社刊)の著者でもある。幸い、電子メールですぐにコンタクトをとることができた。この出会いをきっかけにして、私はTMS治療プログラムに没頭することになった。

TMSとは、「Tension Myositis Syndrome」の略で、訳せば「緊張性筋炎症候群」ということになる。いかめしい名前だが、この理論を開発したニューヨーク大学医学部教授のジョン・E・サーノ博士によれば、「筋炎」といっても筋肉に「炎症」があるという意味ではなく、筋肉内に何らかの変化が生じているという意味でしかない。博士は「痛みを伴う筋肉の生理的変化」と定義づけている。

このTMS理論の特徴のひとつとして、単独の病気によって生じると従来考えられていた筋骨格系のさまざまな症状を、症候群としてひとまとめにしたという点があげられる。たとえば、肩こりと呼ばれる症状をはじめ、腰痛、腕や脚の神経痛、あらゆる部位の関節痛など、すべては共通原因によるひとつの症候群だと考えるのだ。

これはサーノ博士の長い臨床経験の中から導かれた結論で、博士はこれらの症状をTMS治療プログラムによって95パーセント前後の確率で改善させており、そればかりか、あらゆるタイプの心身症にも効果があるという。しかも驚くことに、身体には指一本触れることなく治療できるというのだ。

TMS理論によれば、筋骨格系の痛みや心身症は、ある種の防衛機制だと考えられる。防衛機制とは、心の安定を保ち、精神的破局を避けるための心の安全装置と言い換えることができる。そのひとつに「抑圧」がある。ある感情がしっかり抑圧されていれば問題は起こらないが、その感情の量が限界を越えた場合、抑圧だけでは心の安定を保てなくなる。そこで新たな防衛機制が必要になり、TMSや心身症が発症する。つまり、痛みによって不快な感情から目をそむけさせるというわけだ。

1999年11月の末、58歳の男性が、第1胸椎周辺(背中の首の付け根あたり)の痛みを訴えて来院した。最初の治療によって痛みは消えたものの、5日後、痛みが再発したといってやってきた。『サーノ博士のヒーリング・バックペイン』を読んでいた私は、痛みの原因は身体にではなく、心にあることを理解しつつあったが、どのように治療プログラムを導入していいのかわらなかった。とりあえず、半年前から背中が痛み出したというので、その頃に何があったのかを訊ねてみた。すると、背中の痛みは転職を契機に発症し、反りの合わない上司の下で仕事をしていることに苦痛を感じている、とその男性は語りはじめた。

そこで身体に対する治療は一切行なわず、試しに一人きりになれる車の中で、上司の顔を思い出しながら怒りをありのままに表現し、怒鳴り散らしてみてはどうかと勧めてみた。もともと素直なこの患者はそれを実行に移した。1日目は大きな声を出すことはできなかったらしいが、2日目には大声で怒鳴れるようになり、3日目ともなると怒鳴ることを楽しめるようになった。そしてその夜、ふとんに入って枕に頭をのせた瞬間、いつもの痛みが消えていることに気づいた。その後2ヶ月経過しても再発していないという。

このケースは私に大きな自信をもたらしてくれた。私は早速、友人のK氏に電話をかけて呼び出した。TMS治療プログラムを一通り説明したあと、今日から一週間は必死で取り組むように指示した。ワラにもすがる思いだったK氏は、治療プログラムを忠実に実行した。後で聞くと、当初彼はこの治療に対して疑念を抱いていたという。それも当然だろう。整形外科医に腰部椎間板ヘルニアと診断された人間が、ただ怒りを表現することによって、半年間にもわたる闘病生活に終始符を打てるなど、いったい誰が信じられようか。

ところが一週間ほどたった頃、曲がったままだった腰をまっすぐに伸ばせるようになったと、わざわざ報告しに来てくれた。私たちは飛び上がって喜んだ。それからは1週間ごとに来院してくれたが、その度に症状が改善されてゆき、TMS治療プログラムを開始してからちょうど1ヶ月後には完治した。それから約9ヶ月経ったが、再発もなく、K氏は以前と同じように重労働を続けている。発症前は、徹夜仕事の後など、さすがに腰が痛いこともあったというが、今はそれすらもないという。また、むち打ち症の後遺症にも悩んでいたが、その症状もいつの間にか消えてしまっていた。

K氏の椎間板ヘルニアの治療に成功して以来、私はさらに真剣にTMS理論を研究しはじめ、多くの人々に適用していこうとした。だが、TMS理論を最初からすんなり受け入れてくれる患者は、予想外に少なかった。私の腰痛がそんなに簡単に治ってたまるか、という思いがあるのだろうか。とにかくTMS治療プログラムの効果を確かめたかった私は、いつしかこの理論を受け入れない患者の治療を断るようになった。おかげで多くの患者を失ってしまったが、中には興味を持ってくれる患者もいたため、成功例を着実に増やしていくことができた。

かねてからEMDR(眼球運動による脱感作と再処理法)とNLP(神経言語プログラミング)を研究していた私は、TMS治療プログラムにこれらの心理療法を併用するようになった。

ある日、ピアノの発表会を2週間後に控えていた女性が、小指が痛くて動かせないと訴えて来院した。身体に治療を加えても痛みはまったく消えない。そこで小指が痛くなった日に何があったのかと訊ねると、突然彼女は泣きはじめた。心因性の痛みに違いないと判断し、ショックを受けた出来事の記憶をEMDRで曖昧にすると、その場で痛みは消えてしまった。

ある麻痺性大腸炎の患者は、最初は「怒りなどない」といっていた。過去を思い出すことを無意識が抵抗しているようだった。そこで、NLPのテクニックで恐怖を和らげた後、帰宅してノートに過去の思い出を書き出すように指示すると、1週間でノートが怒りの言葉で埋め尽くされた。2週間後には病院の処方薬から解放された。

このようなことが頻繁に起こるようになってきた。ほとんどの患者は怒りを抑圧しているために、自分が怒りを抱えていることに無自覚である。椎間板ヘルニアから解放された前述のK氏も、TMS治療プログラムを説明した際、笑いながらこう宣言したものだ。「腹の立つことなんて何もないよ」。

人は、怒りなどの陰性感情を自動的に無意識というゴミ箱に捨てている。しかもそのことに気づいてさえいない。自覚可能な大きな怒りもあるが、それはそのゴミ箱をしっかり密封する働きをしているように思える。そのような場合は、その蓋を開けて防衛機制を解除する心理的アプローチが必要だと考える。

昔から、心の状態が身体に影響を及ぼすことは、"病は気から"という言葉でいわれてきたが、その心にアプローチして病気を治す方法については、いまだにこれといったものがない。そもそも、身体の痛みを心理療法だけでなくすことは、希な場合を除いて、ほとんど不可能だったのだ。ところがTMS治療プログラムは、忠実に実行しさえすれば、信じる信じないにかかわらず高い確率で効果が現れるのだ。再発率も低いという印象を私は持っている。さらに、治療者が直接手を下さずとも、読書療法だけで改善するという点、それになによりも、他の治療法と違って、危険性がないというのも大きな特徴である。今後、腰痛治療に携わる者にとって、TMS理論は無視しえないものとなるにちがいない。

最後に、腰部椎間板ヘルニアの痛みから解放されたK氏の言葉を紹介しよう。

「自分はプラス思考の人間だと思っていた。しかし、本当のプラス思考というものは、すべての事実をありのままに受け入れることだと気づいた。怒り、悲しみ、不安などといった感情を強引に前向きに改めようとするのは、結局は逃避だったのだと思う。それに気づくことができたのは、椎間板ヘルニアになったおかげだ。今では椎間板ヘルニアになったことを感謝しているくらいだ」


いとう・やすし◆1956年生。岐阜県可児市在住。ほうせいオステオパシー療術院院長。


月刊春秋, 2000年12月号.

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